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○惜しい負け 脳は「勝った」と誤解して 「次は次は」と ドツボにはまる

競馬や競輪をはじめ、世の中には多種多様なギャンブルが存在し、誘惑の窓口を開けている。多くの人がその誘惑に負けてのめりこんでしまうものだが、【HealthDay】が紹介しているイギリスの研究者の研究によると、「ギャンブルにおける惜しい負け(near-win、僅差の負け)」は、勝負そのものは負けたとしても脳内で「勝利」と同じような刺激・反応が行われ、ギャンブルそのものに対する欲求が高まる可能性が明らかにされた。

これは医学誌の【Neuron】の2009年2月12日号に掲載された、イギリス・ケンブリッジ大学の行動臨床神経学会(the Behavioral and Clinical Neuroscience Institute)のLuke Clark博士らの研究論文によるもの(【概要・英文はこちら】)。

ソース




仏教では、自分の我見を捨てて正しく見ると言うことはとても難しいことだと教えられています。

「一水四見」という言葉があります。同じ水でも立場によっていろんな見方が出来ます。
人間は飲み水と見るし、天人は瑠璃と見る、魚は住みかと見るし、餓鬼は炎と見ます。

「手を打てば鳥は飛び立つ鯉は寄る 女中茶を持つ猿沢の池」
猿沢という池の近くである人が手を打つ。
鳥は鉄砲が打たれたかと驚いて逃げる、鯉は餌がもらえるかと思って寄ってくる。
女中は呼ばれたかと思ってお茶を持ってくる。という話です。

「仏、一音を以て法を演説したもうに、衆生類に随って解を異にす」(維摩経)
お釈迦さまといえど口は一つですから、聞いている人は同じ説法を聞いています。
しかしそれぞれ違う理解をします。自分の都合の良いようにしか聞けないのです。

「一句一言を聴聞するとも、ただ得手に法を聞くなり。
ただよくきき、心中のとほりを同行にあひ談合すべきことなり」(蓮如上人御一代記聞書)

「正も邪も勝手に決めるわが都合」

自分の我見を離れて、「正見」(正しく見る)することは実に難しいのです。
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