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○生きている意味が圧倒的にわからない

■生きている意味が圧倒的にわからない

生きている意味がわからない。

ミクロ的にはわからないこともない。
自分の幸せのため
自分を愛してくれている人の為
子供のため
社会の為
種の保存の為


でもそれがなんだと言うんだろう?
自分はいずれ死んでしまうし、自分を愛してくれている人も死んでしまうし、子供も死んでしまうし、人類だって滅びてしまう。
そもそも、この宇宙だっていずれは停止する運命にある。
要するに自分が何をやったとしても、もしくは何もやらなかったとしてもはっきりいって無意味だし無価値だ。


圧倒的な無意味の中でどうやって生きていけばいいんだ?

どうすれば、自分の人生が価値あるものだと思えるんだ?


僕はつねに正しくあろうとしてきた。

その正しさの根拠をどこかに求めようとしてきた。
人間は社会的動物である。
では、社会に正しさの根拠を求めればいいのか?
いや、社会的動物なのであれば生物として存在し続けること = 種の保存に則って生きていけばいいのか?
いや、そもそも生物は化学的な反応によって、もっとたどれば物理的法則にもとづいて活動をしている。
ならば、物理法則に正しさの根拠を求めればいいのか?



しかし、物理法則なんてものにはなんの意味もないじゃないか。そこにあるのはルールだけだ。

いや、そもそも化学的反応だって物理法則に則ったただのルールだし、種の保存だってDNAに記述されているただのルールだ。

DNAのルールに則って活動しているヒトという生物が作り出した社会だって、そこにあるのはただのルールだ。

結局、どこにも意味なんてない。


・・・そんなことをいつもかんがえている。

ソース




2009年3月1日3:42にはてなの匿名ダイアリーで書かれ、
3月2日6:10現在で130usersからはてなブックマークされ、はてブランキング5位にいます。
普段の生活では敬遠されそうな話題がネットでここまで人気があるのは、
ある意味驚くべきことかも知れません。

科学はこの世の物理法則を明らかにし、人間の生活を大きく変えましたが、
人生の根本問題には沈黙するしかありませんでした。
科学は~であるとは言えても、~すべきとは言えません。
やがて死ぬのになぜ生きるのか、人生にはどんな意味があるのか。
死を目前にした時、人間は無力さを感ぜずにおれません。

三帰依文の最初には、
「人身受け難し、今すでに受く。仏法聞き難し、今すでに聞く。
この身今生に向かって度せずんば、更に何れの生に向かってかこの身を度せん」
とあります。
「生まれがたい人間に生まれられて良かった。聞き難い仏法が聞けて良かった。
今生でこのように人生の目的を果たすことが出来なければ、いつ果たせるというのだろう。」

科学が発展するにつれ、ますます人生の意味が問われているようです。
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